ファンタジーは必要である

ビッグ・フィッシュを見てきました。
どうのこうの理屈抜きにすごくよかった。
終盤かなり泣いてしまいました。泣ける。
一緒にいった連れも鼻をぐずぐずいわせていて、どうやら二人して泣いていたようで。
最近のCGをばんばん使いまくったような大作映画と違って、
そんなにCGに頼りきっていないのでエンドロールが長くなく、
(CGを使いまくるとエンドロールにCG作業の人が大量に乗るので長くなりませんか?)
「もっと映画館出る前に心の準備とかあるんだからエンドロールもうちょっと長いほうがよかった」
と連れが言ってました。
私もそう思う。もう少し余韻に浸っていたかったし、なにより目鼻がぐずぐずしていたので。
こういうとき女性じゃなくてよかったのかもと思う。
もしメイクなんかしてたらぐちゃぐちゃになってただろうなあ。
でも終盤それぐらい泣けてしまった。


ともするとまとまりのないような話になってしまいそうなところを、
きれいにまとめて見せるあたりはさすが。
いつものダークな雰囲気とは違い序盤から明るい話で、
それでいてきちんとティム・バートンらしいトーンが画面に出ていて美しい。
中盤以降はファンタジーと現実がすこしずつ照らしあわされたりして、
そして最後に幻想的な結末を迎える。
たしかに賛否両論の最後のシーン(葬式)はすこし余計だったのかもしれない。
ファンタジーはファンタジー、現実は現実としてしまってもよかったのかもしれないけれど、
あそこで、やはり単なる妄想として現実と切り離されているのではなく、
現実とファンタジーはそれほど分かつことができないということが、
こんなときだからこそ明るく美しい映画を撮ったティム・バートンの見せたかったものなのかもしれない。


ファンタジーは想像力から生まれる。
お互いに想像力を持って接すれば、父のように愛し愛されて生きることができるのかな。


映画中に出てきた「hand-i matic」(つづり違うかも)という、
シザーハンズの手を意識した外見の汎用工具、あれほしい!
グッズで販売してくれればよかったのになあ(笑)