見ることは信じること? 佐藤隆夫編

少しずつでも書いておきたいのでちょっとずつ。


八谷さんのスクラップ帳(500円の値札が張ってあった・笑)にプリントの切抜きを貼るプレゼン資料、
あれいいなーと思った。今度プレゼンでやってみようかな。
でもうちのプレゼンは大体パワーポイントファイルを提出しないといけないからなあ。
スクラップ帳ごと提出すればいいのか(笑)


とりあえずは東大文学部佐藤隆夫先生の話から。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/psy/sato_lab/j/
心理学科でも実験的な認知研究をやっていたんですね。
うーん、それだったら心理学科の進学も少し考えたのに。

インパクトとは、脳内エンジンの活動量と脳内リアリティーの整合性によって生まれる

このインパクト発生の定義はなかなか面白いなあ、と思った。
脳内エンジンの活動量については、
外界から得られる情報のボトムアップと、
頭の中の知識のトップダウンのせめぎあいがある方がよりインパクトがあるということを、
チラリズムを引き合いに出して説明してみせる佐藤先生。
となれば外界からの刺激情報と頭の中の知識が同じくらいの効果を持つときその人にとって大きなインパクトを与えるわけで、
知識が増えてしまえばそれだけ感動も薄くなってしまうのかなあ。
それは見飽きてしまえばチラリズムになにも感じなくなる(?)ように。
チラリズムは見飽きない!と反論されそうだな・笑)


そしてその脳内エンジンの活動はまたリアリティーとの整合性も問題にするということだ。
ここでのリアリティーというのは物理的な真実ではない。
それは脳内の真実であり、
たとえば西洋の遠近法を用いた写実的な絵画よりも、
キュビズムのような「あちらから見た感じもこちらから見た感じもどっちも頭の中には存在するんだよ」
といった表現のほうが、より脳内リアリティーに真摯な形の絵画かもしれない、
という例を挙げて説明していた。


今の私たちは科学に取り憑かれてしまっているから、
物理的真実こそが明晰な真実だと思ってしまうのかもしれない。
でも脳の中ではそうじゃなくて、
なんとなくあーだとかこーだとか思っているその思考のあり方・見方が、
実際は脳の中でのリアリティーとして物理的にはなんだかわからない形で存在しているのかもしれない。
じゃあ脳内のリアリティーを刺激するような表現の仕方ってなんだろう。
それは結局体験や経験を通してだんだんと獲得されていくものなんだろうなあ。


もし佐藤さんの授業が開かれているようだったら、
今度もぐってみようかと思います。